昭和五十六年七月十四日 朝の御理解


御理解第十六節
無情の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無情の風が時を嫌うぞ。


 折角信心をさせて頂くのですから、いよいよ信心のお徳を身に頂いて、おかげを頂きたいもんだと思います。
 昨日、久富先生が、久富一郎先生がお国替えになられた。本当に何かに思うてみても、おかげをうけておるなぁ、おかげを受けておるなぁという実感が強いんです。無情の風ではなくても、本当に無情の風だと、御神愛の表れだと。日頃信心の徳を受けておればこういうおかげも受けられるぞという、いうならおかげの手本のようなものだ。そんな風にしか思えないんですね。
 ですから昨日も十三日会で申しましたように、日々、日頃が神様の働きの間違いない働きを実感しながらの生活でなからなければならない。これは私が感ずる久富先生の御帰幽を私が感ずるおかげとしか感じられないね。これは又家内にとったり、子供達にとってはですね、いうなら無情の風に感じるかも分かりませんけれども、もう丁度一年くらい前だったでしょうか、やはり倒れられて身体が五体がこう動かんようになられて、一ヶ月かそれくらい休まれたでしょう。それからおかげを頂いて、それから合楽では車で行き戻り今までかつてないことですよね。ここにはいうなら先生方五十八居るとですから、そんなにわざわざ年寄りの先生に来てもらはんでん、実をいうたらいいとじゃから、まあ家でゆっくりし説きなさいというよったんですけれども、さっちどうでも自分でなからにゃでけん御用があるというので、あのう、ひるごろみえますから、昼頃迎えに行って、夕食を終わったら送っておりました。自分はもうこりゃ、自分でなからにゃでけない、日頃これだけはそしてまだ、身体がこう不ごごう(不自由の意味)でしたし、足もよろよろしよんんさいましたけれども、親先生おかげで手だけは、こうそりゃ、そうに、強かったです。私を身体を揉んで下さったり、私の影の形のように、ついておって下さいましたから、それにもう親先生おかげ頂いて、手だけはこんなにおかげを頂いておるということが、私がまあだ、御用さして頂かんならんという事だから、これだけはかえって教会にご迷惑かけるけれども、といって、何時間か、ここにおって過ごしておられました。
 勿論ここではまあ、修行生の大将ですから、もう大久保彦左衛門的な存在でしたからね。丁度昨日、一昨日ですね、私がここを下がらせて頂いて、すぐお風呂あの大きなお風呂に私と久富先生だけしか入らんのです。家内は孫達がおりますから、二人しか入らんのに、あのういつも何か大変素晴らしい、何か風呂ん中な入れる今、私が石鹸を使いませんから、だからお風呂ん中で、こうあのう久富先生が流して下さる。私共二人だけですから、そして私の背中をこすりながらですね、あんな事いったことはないですけれどもね、もう親先生もう本当にとてもおかげ頂いて九人の子供達が、それぞれにね、まあいうなら一人立ちが頂けるようなおかげを頂いて、もう信心はあの人達がしませんけれども、おかげを頂いて御礼を申し上げよったら、涙ばっかりこぼれますといいながら、私の背中を流しとった。あんな事はそりこそ、初めてでした。そういうことば昨日の御理解じゃないけれどもね、ままよとは死んでもままよという心になればおかげが頂けるという風に思うとったね。
 所が勿論ままよという心になって、ならこの世だけがおかげじゃないから、十分ままよという心になれば、おかげが受けられるとはおっしゃってはいないわけね。教祖様は。昨日、始めて気が付いたんです。ままよという心。それは死んでもままよの事ぞと。ね。十分徳を受けようと思えば、おかげを受けようと思えばじゃないです。徳を受けようと思えばですね。私は前の日の久富先生のそれこそまあ私はもういつ死んでもよい。「けれども、先生。私はどうしても百才まで生きらにゃならん。」「なしや」ち云うたら「親先生が九十三まで生きなさるでしょう。そしたら私は丁度、百まで生きらにゃ、親先生より先に死んじゃならん。」「あんた、妙な事いうの」云うちから、笑うように、いつもこの様に云っておられましたですね。
 いわゆる御用精神です。私より先に死んじゃならん。そすと私より七つ多かけんで、百才まで生きらんならんと、私が九十三まで生きると勘定して、私の父が九十三でしたからね。親先生の年まで、親先生が生きられるとしてですというように、その身体があんな状態であっても、自動車で送り迎えしてもろうてでも、この御用だけは自分がせんならんという何か一途なものをね、皆さんもご承知のように、そのように一途な物を、もう私の前においてはもうそれこそ、そんなに、風呂ん中に一緒に背中を流して下さる程じゃから、よっぽど心やすうあんなさるじゃろうと皆さんが思いよんなさるじゃろうけれども、そりゃ私の側に寄ったらもうびりびりしよんなさったですよ。こりゃ、いつも久富繁雄さんと一緒でしたから、これにゃ、とにかくなら、私の身体に触る前の先生が真剣な体態という物は普通じゃございませんでした。
 もうそれこそ、何か尊い物にでも触れるような感じがね、そうでした。ね。結局ままよという心。だから先生はもう絶対お徳を頂いてお国替え、お徳を持っておかげを頂けておる。しかも合楽で十三日といえば、一番大切にする、しかも神願成就の日と有り難いという、その日にね、お国替えがでける何て、もうこりゃ、本当に手本です、おかげの。お互いあんなおかげを頂きたいです。
 とにかく私はまだ、よく聞きませんけれども、八時頃何か、町にでておられたらしいんです。それであの秋山さんなんか合われたんです。そして帰ってから、倒れとんなさる。そしてそのまま、意識がなかったから、電話がかかったのが、意識がありませんというて、もうすぐ後には亡くなったというお届けです。もう本当に、こういういうならば、あの世とこの世の境があるやら無いやら分からんような感じのお国替えでしたね。
 しかも自分の心の中には、そういうありば、もういっちょしとかにゃじゃった。あん子供が気がかりになるっちゅうものが、もう身体のちょっと小児麻痺じゃった娘がおかげで安藤さんのお仲人でおかげば頂いて、二人目の子供が出来、お産に帰ってきとりました。その数日前に安産のおかげ頂いて、あれもこれもがおかげを頂いて、いうことは無いと、私が前の日にお風呂に入った時に、先生が今述懐するようにして、いわれた事が今から考えると本当にままよという心になって、おられたなぁ。ままよということは死んでもままよの事であるし、そういう心に徳が受けられると神様はおっしゃっておられる。
 私は昨日はこの事をね、ままよという、徳を受けよと思えば、ままよという心になれよ。ままよとは死んでもまま世の事ぞというのは、ままよという心になればおかげが受けられるという風な、頂き方をしておりましたね。そういう腹が出来たら必ずおかげになるという風に思っておりましたけれども、そうでは無い。徳が受けられる。その徳をいわばあの世にも持って行けるということになる。そのひとつに証のようなものが合楽で一番素晴らしい有り難いといわれる十三日に御帰幽になるということなんかは、どんなに考えても。だから悲しいということよりも、おかげ頂いた先生おかげ頂いたね、というより外にない感じがするんです。今日は教会葬を以て行いたいと思います。二時からだそうです。皆さんもどうぞ先生と最後のお別れの式ですから出来るだけおかげ頂いて頂きたいと思います。                               どうぞ
 もうこうなってくると無情の風じゃないでしょうが、神様のもうそれこそ思いに包まれたような、いわゆるお国替えてあるということですよね。無情の風に神様は時を嫌わしてござる、まさしくそうです。